東保が主宰する音楽演奏団体「クライネクノスペン」のページとその仲間が運営するショップです。
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ニュース&トピックス

CDの発売

日本の合唱曲の演奏会を記念して、インターネットのアマゾン
パナムジカからCD「水のいのち」発売!!


●クライネ・クノスペン「春の遠足」(2011/5/1)
滋賀県マキノ周辺を3コースに分かれて歩きました。
その後、石窯ピザのお店「Cook Stove」で舌鼓。楽しい一時を過ごしました。
(下の写真をクリックすると、大きな写真が開きます。)

●新年にあたり、クライネクノスペン合唱団OBの
新年会を行いました。(2011/1/4)

クライネ・クノスペンとは

ドイツ語で、「小さなつぼみ」を意味するクライネ・クノスペンという名の音楽演奏団体は、四條畷学園女子短期大学(現在の四條畷学園短期大学)音楽研究室を母体として1974年に創設されました。

創設主旨とその経緯:
私は、ドイツ留学から帰国した当時、オペラを初め、あらゆる演奏会に頻繁に出演しておりました。しかし、当時の日本は、クラシック音楽の演奏をしながら生計を立てていくことは、とても困難でした(現在でもそうですが)。
そこで、帰国後間もなく勤務しました四條畷学園に勤めの傍ら、早期教育を目的とした音楽教室を設立しました。女子短期大学 音楽研究室、私を初め私のもとで一緒に勉強していた人たちとともに、働きながら勉強をし、私たちの音楽の発信基地となるように環境を整えようと考えましたました.。
お蔭さまで音楽教室の設立も順調に推移し、研究室の人たちの研究活動も活発に行われ、初期の目的を果したと言えます。
しかしながら諸般の情勢により音楽研究室を離れて独立した団体として活動することになりました。ある意味ではそれはより自由な活動が出来ると考えます。
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東 保


設立当初から仲宗根稔、淡路和子両氏に指導、運営に参加を仰ぎ、音楽教室のみならず、クライネクノスペン合唱団の活動を行ってまいりました。


東  保  Profile

東  保

東 保

大阪教育大学特設音楽課程卒業。同専攻科修了。愛知県立芸術大学マスタークラス修了。市来崎のり子、ゲルハルト・ヒュッシュの両氏に師事。
1972~73年ミュンヘンに留学。
1971年のリサイタル「ベートーヴェン・アーベント」の成果に対して大阪文化祭賞を受賞。1975年のリサイタル、シューベルト「冬の旅」の成果に対して音楽クリティック・クラブ賞及び大阪府民劇場賞奨励賞をそれぞれ受賞。
NHK-FM放送「夕べのリサイタル」他、ラジオ、テレビに数多く出演。
関西歌劇団公演「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」「トスカ」「リゴレット」
「オテロ」「ラ・ボエーム」「魔笛」等数多くのオペラや創作オペラに主演。
ベートーヴェン「第九交響曲」ヘンデル「メサイア」フォーレ「レクイエム」等のソリストとしても活躍。
クライネ・クノスペン合唱団を主宰し、バッハ「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ」、ヘンデル「メサイア」、ハイドン「天地創造」、モーツァルト「レクイエム」、ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」ベートーヴェン「第九交響曲」「荘厳ミサ」等の作品を指揮。
著書として全音楽譜出版社より「やさしい伴奏によるあたらしいこどものうた1巻・2巻」チャイルド社より「やさしくひける幼児のうた」がある。
「子どもの早期教育」についての講演も多い。
関西芸術文化協会常任理事、関西歌劇団常任理事、日本シューベルト協会理事を歴任。関西の文化活動の発展に貢献。
1999年全国保育士養成協議会会長表彰、短期大学教育功労者表彰を受ける。
四條畷学園短期大学保育学科長を経て、現在四條畷学園音楽教室室長、龍谷大学男声合唱団顧問指揮者、クライネ・クノスペン主宰。


仲宗根 稔

仲宗根 稔 大阪教育大学特設音楽過程卒業。同専攻科修了。東 保氏に師事。 主にドイツ歌曲や宗教曲、そして日本歌曲をレパートリーとし、ドイツ歌曲ではハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、シューマン、ヴォルフなどの作品を、宗教曲ではバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、シューベルトなどのオラトリオ、レクイエム、ミサ曲を歌う。ジョイントリサイタル1回、ソロリサイタル3回を行うほか、クライネ・クノスペン主催の数多くのコンサートで演奏を行う。 ラジオ放送ではNHK「午後のリサイタル」に出演。 82年、93年のリサイタルでは大阪文化祭奨励賞を受賞。 現在、関西女子短期大学教授。四条畷短期大学非常勤講師および音楽教室講師。    



淡路和子

大阪教育大学特設音楽課程卒業。
ドイツ歌曲によるリサイタル、ジョイントリサイタル開催の他、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツア、「アイーダ」のアイーダ、「フィガロの結婚」のスザンナ、「魔笛」のパミーナ、「こうもり」のロザリンデ、創作オペラ「ゆく河の」のおしの、「トロヴァトーレ」のレオノーラ等を演じた。
1995年日本・ポーランド合同公演、モニュシュコのオペラ「ハルカ」のタイトルロールを演じ、その成果によりポーランドに招かれ、「第35回モニュシュコ・フェスティバル」において「オペラ・ガラコンサート」、オペラ「ハルカ」に出演した。
又、ベートーヴェン第九、荘厳ミサ、バッハロ短調ミサ、マタイ受難曲、モーツァルトレクイエム初めミサ曲多数、ヘンデルメサイア、ブラームスドイツレクイエム、ハイドン天地創造、四季、などのソロの他、ドイツ歌曲を中心に、多くの演奏会に出演。
エリザベート・シュワルツコップのマスタークラスを受講。
ケルンテン(オーストリア)にてエリック・ヴェルバのマスタークラスを受講。
ウイーン、ワイマールにてノーマン・シェトラーのマスタークラスを受講。
ヴェルクル(オーストリア)にてヴォルヘルム・リーガーのマスタークラスを受講。
1993~1994年 私学振興財団海外研修員として ウイーン、マンハイムに留学
クライネ・クノスペン所属。
東 保、オルガ・ワルラ・コロの各氏に師事。
現在、四條畷学園女子短期大学教授。


麴谷 さつき


千田 耕太郎



ヒュッシュ先生の推薦文


ヒュッシュ先生

私とクラシック音楽との出会いは 遠く中学生の頃に遡ります。 その頃私の家にはゼンマイ仕掛けの蓄音機があってシャリアピン、カルーソー、ゼルキン等のSPレコードがありました。私とは一回り上の長兄(当時すでに故人)が集めたものでした。その中にゲルハルト・ヒュッシュ先生の「二人の擲弾兵」、「音楽に寄す」もありました。私は毎日レコードが擦り切れるほど聞いていました。

そして高校生の時 ゲルハルト・ヒュッシュ先生が来日し、大阪の松竹座でリサイタルが開かれることになりました。その頃(昭和28年頃)日本はまだまだ復興の途上にありましたが外国の演奏家が来日するようになり、AGOTO(朝日学生音楽協議会)や労音が主催する音楽会が大阪でも開かれるようになっていました。私はあのSPで聴いていた人が来るというのでどうしても聞きに行きたいと思いました。でもお金がないので考えた末、受験のために買っていた参考書を天牛という古本屋へ売りに行き、700円の3階席のチケットを買いました。曲目は「詩人の恋」など、何の知識もないながらそのいぶし銀のような美しい声、端正な西洋の騎士のような姿に圧倒されました。

間もなく私は声楽を専攻するようになり大阪学芸大学に入学しました。二回生の時の試験ではヒュッシュ先生のSPで聞いて覚えていた「二人の擲弾兵」を歌いました。丁度その頃、ヒュッシュ先生にミュンヘン音楽大学で師事された中山禎一さんが帰国され「冬の旅」をまるでドイツ人のように歌われ、私は大変なおどろきと刺激を受けました。

卒業後私は大阪府立生野高校、高津高校に専任として勤めながら、様々な演奏活動(リード、オペラ、オラトリオのソロ等)を続けておりました。余りの忙しさに押しつぶされそうになっている時に愛知芸術大学のマイスタークラスのことを知り、そこで研究生としてあのはるか遠い存在であったヒュッシュ先生の薫陶を受けることになったのです。その時先生に師事した曲目は大阪でのコンサートの曲も含めて、シューベルト、シューマン、ブラームス、ベートーヴェン、バッハ、ヴォルフ、キルピネン、ドイツレクイエム、フォーレのレクイエム等多岐に亘りました。名古屋でのコンサートにも出演しました。そして1967年大阪厚生年金会館でオールベートーヴェンプログラムでリサイタルを開きました。ヒュッシュ先生はプログラムに推薦文を書いて下さり、当日も名古屋から駆けつけて下さいました。終演後楽屋に集まった皆に「私 彼のお父さん!」と言って笑わせて下さいました。


ゲルハルト・ヒュッシュ先生の推薦文

ヒュッシュ先生からの推薦文

バリトンの声は、男声の中でも、もっとも豊かな表現能力を具えたものであると、私は考えています。

この意味で、すぐれたバリトンに恵まれた東保君を知り、彼と一緒に勉強できることは、私にとってとりわけ楽しみなことであり、私はこの楽しみが、今後も一層深められることを期待しています。

今夜の歌曲の夕べが、真情にあふれたひとときとなることを祈りつつ、演奏者と聴衆の方々に、心からご挨拶をお送りいたします。

1970年10月28日

愛知県 ナガクテにて
ゲルハルト ヒュッシュ

1970年先生は帰国されることになり、最後のレッスンで「ミュンヘンに勉強に来ないか」と誘って下さいました。

ミュンヘンでの生活は一言では言い表せない苦難の道でした。家族も仕事もある身で万難を排して留学した私には、短期間に出来るだけのことを吸収したいという想いがいっぱいでした。しかし言葉の壁、文化の壁、そして先生のレッスンは日本で受けた時より数段に厳しいもので本当に苦しい毎日でした。私は下宿の壁いっぱいにドイツ語の単語や、詩を書いた紙を貼り、ドイツ語づけの毎日を送りました。

「詩人の恋」、「美しい水車小屋の娘」、「冬の旅」、「マゲローネのロマンス」、「高き山々の冬」等発声、イントネーション、詩の解釈、ドイツ人としての教養あるヒュッシュ先生の奥深さに圧倒されながら、多くのことを学ばせて頂きました。同時にヒュッシュ先生の紹介で、サバリッシュのピアノの先生の娘さんで演劇人として活躍している方に、ドイツ語の発音と詩の解釈について特別に講義を受けました。

ドイツ人の詩の解釈は非常に哲学的で、言葉の壁もあってなかなか理解して歌に表現することがむつかしいと痛感する日々でした。例えば冬の旅の"Einsamkeit"「孤独」を私が歌うと、先生はそんなに寂しすぎる歌ではない、センチメンタルではない、只そこにいるだけでいいのだ、そこにロマンがあるのだと……。

先生は厳しいレッスンを離れると、ザルツブルグ、ダッハウ、ツークシュピッツ、リンダーホフ等へ高速道路を猛スピードで運転して連れて行って下さいました。ダッハウでは第二次大戦で起きたこと、そしてドイツ人が負った罪と責任について語って下さいました。

また奥さんの要望で、先生と一緒にリビング、ダイニング、玄関・廊下、バスルームの壁の塗り替えや、新しい家具の取り付け等を手伝いました。その時は慣れぬことで大変でしたが、ドイツ人の堅実で質素な習慣を体験することが出来ました。クリスマスイヴには奥さんの七面鳥の手料理を頂き、下宿に帰ると今度はグロークナー(下宿の主)さんの七面鳥も待っていたり…。懐かしい遠い想い出です。

さて私がこの年まで音楽に対する情熱を絶やさずにいられるのは、すべてミュンヘンでヒュッシュ先生と過ごした一年半の濃厚な日々の勉強が土台となっています。まだまだ先生の足元にも及ばないことを実感して勉強意欲を掻き立てられるのです。

日本に帰って、留守中の空白を埋めるべく新しい職場での仕事、そしてさまざまな音楽会の出演依頼に忙殺され、先生を日本へもう一度お呼びしたいという願いが叶えられなかったことを返す返すも残念に思い、ヒュッシュ先生へ心よりの感謝とお詫びを捧げます。



ヴィトマー氏との出会い

クルト・ヴィトマー
2003年8月に、研究室の淡路和子さんから、オーストリアチロル、ヴェルクル(Wörkl)で興味深い夏季セミナーが行われていると聞き参加しました。
その講師がクルト・ヴィトマー(Kurt Widmar)氏でした。 いろいろな意味でヨーロッパの文化を身につけた芸術家と感じました。私には大変意義深い講習会で、かなり満足できました。
講習会最終日に彼に関西で一緒にコンサートをやらないか、持ちかけました。 彼にとっては大変興味を持ったようで、すぐ秋のシーズンから、私たちクライネ・クノスペンとの音楽シリーズが始まりました。
「リサイタル」、ハイドンの「四季」、バッハ「マタイ受難曲」、モーツァルト「レクイエム」、バッハの「カンタータ」、 「リーダー・アーベント」などかなりのコンサートを行いました。
それとともにザルツブルグ、ウィーン、リンツ、ミュンヘンから、共演者(共演者として写真参照) がやってきて大変充実した音楽会を行うことが出来ました。
現在彼は体調が思わしくなくバーゼルの自宅で静養されています。
一日も早い回復を祈っています。

共演者


アンドレア・レベーダ   エリザベート・シューエン   ディーター・ワーグナー、、
アンドレア・レベーダ  
エリザベート・シューエン
 
ディーター・ワーグナー
フェリーチタ・フックス   阿部 祥子    
フェリーチタ・フックス   阿部 祥子    

クライネ・クノスペンの仲間たち

ソプラノ    
淡路 和子   大森 由美子   野秋 未紗    
淡路 和子   大森 由美子   野秋 未紗   鎌田百合子   上野 美紀

メゾソプラノ
       
麹谷 さつき   大谷 近子          
麹谷 さつき   大谷 近子   野間 路代        

テノール 

バリトン  
   
仲宗根 稔     東 保    千田 耕太郎    
仲宗根 稔   中谷 孝平   東 保   千田耕太郎    

ピアノ
永井 美穂   吉原 千景   小齊 由美   森 麻希子   杉田 清子
永井 美穂   吉原 千景   小齊 由美   森 麻希子   杉田 清子
       
森脇 由紀    泉 香叡   久保 雅世   木谷 祐子   関本 照代
石崎 利子 岩崎 宇紀

島長 恵美

お問い合せ

〒574-0001
大阪府大東市学園町6-45
四條畷学園短期大学 音楽研究室気付
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